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5/6(Monday) | アフガニスタン滞在11日目 | |||||||||||
ジャララバードの軍駐屯地から兵隊が一人護衛としてついてきた。政府軍の地区司令部があるアガン村に9時30分着。 昨日の話では、トラボラに入れることになっていたのに、 今日になって、昨夜作戦から帰ってきた兵隊が、外国人ジャーナリストは入れるな、と言ったのでダメになったという。 米軍は全てのミッションを秘密に行っていて、アフガン兵には何も伝えられていない。 トラボラに許可無く入り込めば、米軍へりから確実に撃たれるだろう。灌木しか生えていない山では隠れる場所もない。 政府軍のトラックに屋根にはオレンジ色の認識票を張るように米軍から命令されている。 暫く、お茶をごちそうになりながら、雑談しているとガイドのアマンが$100渡せばトラボラの近くのギリヘイル村まで入れるという。 アマンが現地の兵隊にいくら払ったのかはっきりしないが、トラボラの一番手前の村まで行くととにした。
一時間ほどして急斜面を一気に上り詰めると、眼下の狭い谷間に一軒の土で出来た民家が目に飛び込んできた。 緑、白、黒の3色旗が敷地のはずれのポールにはためいたいた。旧政権の旗だ。なぜ新政権の旗と取り替えてないのだろう。 トヨタのトラックが3台みえた。近づくと若い兵士が止まれと現れた。 車からアマンとアガン村から乗り込んできた警備の若い兵隊が降りて、話しに民家の中に入っていった。 まもなくアマンが、車に向かって降りてこいと手招きをした。 車の外に出ると20平米ほどの畑にびっしりケシの花が咲いているのが目に飛び込んできた。 標高が高いためにジャララバードよりはかなり涼しい。 われわれは、家の中に通され、お茶と昼食の持てなしを受けた。ナン、豆のスープ、ジャガイモの鳥だしスープ、生タマネギだった。 質素だが、うまかった。 ここの兵士たちは今作戦に出かけていていない。留守中の責任者であるモハンマド・シェールさんは兵隊生活を20年以上続けている。 ソ連時代はナンガルハールで、アル・アザルガリというムジャヒディンリーダーの元で戦っていた。 ここではアフガン軍兵士20人の責任者。まるで農家の親父と言った感じの腹の出た、おじさんだ。 入り口の脇に6才ぐらいの男の子が老人と一緒にいた。 このちかくに米軍のヘレポートが建設されているという。何のために建設しているのかいっさい知らされていない。 しかし、チーフは知っている、と言う。ここには米軍とカナダ兵が700人駐屯し彼らと一緒に行動している。 入り口にはたくさんのレーション(戦闘食)の袋が落ちていた。 当初撮影は禁止と言っていたが、うち解けて来たので頃合いを見計らってインタビューの写真を撮らせてとお願いすると、OK。 側にいた兵隊たちも一緒にとってくれという。 外に出てケシ畑と山も一緒に撮りたいというと、これもOK。ほとんど撮らせてもらった。当初撮影は禁止だと言ったのは何だったのか。 帰り際に、日本で働いていたことがあるアマンは「米軍は何でも好き勝手にやっている。沖縄と同じだよ」と吐き捨てるように言った。 昼食後、1時間ほどで帰ることに。みな外に出て見送ってくれた。 上空から、OV-10偵察機の鈍い音がかすかに聞こえた。
夕方ちかく、マジーナ村に着いた。 村には電気が無く、雪山からわき出す伏流水を利用した灌漑水路が縦横に走り、集落の周りの木々を緑にし、畑の麦を実らせていた。
この夜は満天の星空を見ながら屋外にベッドを出して、直ぐに眠り込んでしまった。とてもさわやかだった。 夜中に大粒の雨が顔に当たるので目が覚め、室内に入った。コオロギのような虫が大きな鳴き声でいつまでも鳴いていた。 桃源郷のような平和な村だ。
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