- ■ 2001/10/4 from Marakand
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パキスタン北部アフガン国境の町――タリバンを支持する住民たち
――― いつでもアメリカと我々は戦う
アメリカの攻撃が目前に迫った10月始め、ペシャワールから150キロ北の町マラカンドを訊ねた。アフガニスタンからこの地域にかけて住んでいるパシュトゥン族が人口の85%を占める。
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町工場には自動小銃もあった |
彼らはアメリカの攻撃がいつ始まるのか、心を痛めていた。住民の多くが、攻撃が始まれば銃を取ってアフガン同胞の為に戦う、と言う。彼らにとって、アフガニスタンにいる人々は同胞なのだ。彼らがアメリカと戦っているとき、じっと黙していられないのは当然だ。
この町で、小さなガンショップを見つけた。ピストルやライフル銃などを売っていた。
店に来ていたSadral Isram(39)さんは、学生だった1988年当時、「35人の学友と一緒にアフガニスタンで一ヶ月間ソ連軍と戦った。我々はテロには反対だ。しかし、オサマ・ビン・ラディンが犯人かどうかわからないのに攻撃をする事で、アフガニスタンの同胞が殺されるそんなこと、許せない。今回もちょっと歳を取ったけれど闘いに行くよ。ジハードに参加することが我々の誇りだ」と笑顔をみせた。
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ピストルの銃身を磨く労働者 |
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町のガンショップ
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武装の進む北部の町マラカンド 表面的には平和な町だ
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アフガン国境に近い町は険しい山岳地帯が続く
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ちなみにここで売られているピストルの値段は安い物で日本円にして400円ほどだ。
我々のドライバーのホッシムさんの年収は 4,5万円ぐらいだからそれほど、高いものではない。ここでは自由に誰でも銃を持つことが出来る。誰でも簡単に武装できるのだ。
この町に工場があるというので連れていってもらった。工場と言っても家族で経営している4畳半ほどのスペースの町工場だ。そこでは、一人の職人がピストルの銃身を削っていた。
ここの地域は85%がパシュトン民族だ。彼らは100%オサマ・ビン・ラディンを支持している。町の長老は「アメリカが爆撃すれば、10万人が戦う。武器はカブールからロシアと中国製のAK47を手に入れている。もし、アメリカが爆撃を始め、アフガンに侵攻したら、我々は銃をもって闘いに参加する」と言った。
取材中、公安警察が来たから、早く帰ろうとドライバーのホッシムさんが青い顔をして飛んできた。この地域は多くの住民と外国人とのトラブルを防ぐために、パキスタン政府は神経をとがらしている。10日ほど前から、アフガニスタンから来た難民キャンプの立ち入りも外国人ジャーナリストとのトラブルを防ぐため警察の許可が必要になった。
米軍の爆撃が始まってからパキスタンのタリバン16,000人がアフガンに入って米軍と戦おうとしている。
- ■ 2001/10/7 from peshawar
- 10月7日、ペシャワールでタリバン支持派の集会が開かれた。
集会には、10,000人が集まった。
集会では、テロリズムに反対し、アメリカの報復攻撃に反対していた。
もし、アフガニスタンを攻撃すれば、銃を持って戦う。
ジハード、ジハードと叫んでいた。
- ■ 2001/10/8 from peshawar
- アメリカの攻撃が伝えられた昨夜、ここPeshawarのパールコンチネンタルホテルは外国メディアのほとんどが宿泊している。
ロビーにあるCNNのニュースでジャ−ナリスたちは、攻撃が始まったことを知るとみな走り出した。
取材の規制が厳しくなり、何もする事がなくなっていた彼らは、みな生き生きしてきた。
Pehsawarの町では昨日もイスラムの人々がアメリカの戦争に反対してデモをやっていた。
ジャーナリストたちは町の様子をスケッチするため出かけていった。
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装甲車
アメリカ領事館前(10:30am) 警察が規制した。アメリカの攻撃に皆怒っている。
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ペシャワールのレストランで食べた
昼食のマトンの串焼き(Mutton Bot)、ナン、
塩味のヨーグルトドリンク、サラダで
70ルピー(140円) |
- ■ 10/9〜10
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ホテルに戻って明日すぐに出発できるように機材やフィルムの詰め替えをして、ベッドに入った。
これまでの寝不足ですぐに眠ってしまった。
一夜開けた、Peshawarは朝から小、中高の子どもたちが登校前のデモをして行った。
アフガニスタンでは爆撃によって、150人が死んだとタリバンが発表したと言っていた。
街は警察官がたくさん出て警備している。市民はふだんと変わらない生活だが、みな心の中では怒っている。
PESHAWARはタリバン活動家の幹部が昨夜のうちに逮捕され、抗議行動も不発に終わってしまったようだ。
写真を送信後、Isuramabard に一端戻ることにした。
あす、情報省でPRESSPPASをもらい、ビザの延長をしなければならないため。
明日、大規模な抗議行動が首都で計画されているという。
タクシーをチャーターしてIsuramabard に向かった我々は、途中とんだアクシデントで命拾いをした。
車は行程の3分の位置ほど来たところで、左側車線を走っていたのだが、バスが右側から寄せてきて、
左側車線に入り込み、我々の車と接触した。我々の車は車線をはずれ左側の土手をスリップしながらアカシヤの大木の直前で止まった。
バスはそのまま逃げようとしたが、ドライバーが追いかけ捕まえ車掌を連れて来た道を引き返し、バスの会社で補償交渉。
時間はすでに7時を回っていた。一族の大男たちが出てきて、洋一がバスドライバーは人殺しだ。ブッシュと同じ。と言ったものだから彼らは怒りだした。
しかし、イスラム運動の有力者の名前を出したら、収まり、裂けてしまった前後のドアーを交換させることで決着。しかし、我々はIsuramabard に車で行くのをあきらめ、バスに乗っていくことになった。
8時20分ようやくトヨタハイエースのマイクロバスは23人を満載して、猛スピードでIsuramabard に向かった。
途中4回の検問があり、麻薬と銃のチェックをしているのだという。明日の抗議行動の前夜なので首都への武器の持ち込みを警戒しているのかも知れない。
11時30分 Jasmin Innにチェックイン。ダブルルームしかなかったので、洋一は床に寝ることにした。
- ■ 10/12 Islamabad
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銃を持って警戒する兵士 |
Islamabadでは国会や大統領官邸周辺、外国大使館などの周辺は銃を持った兵士が塹壕を掘って警戒し
外国ジャーナリストの宿泊ホテル(私は静かな住宅街にある安ホテルに宿泊中)などはテロを恐れて、
車の乗り入れを禁止し、ホテルの玄関では持ち物検査が行われている。
10月12日は金曜日。イスラムでは休日、みなモスクにお祈りに出かけ、
その後大規模な反米、反政府でデモが行われると言っていたが、それも不発に終わった。
先週からの反米イスラム・親タリバン指導者の大量逮捕と昨夜、政府内で親タリバン派の軍との取引があったようだ。
軍の中には米軍の爆撃をやめるように求める声が強くなっている。
市民の感情はますます、反米、タリバン支持が強くなっている。
一番大切なのはお金ではない。一番大切な事はイスラムの教え。アフガンでロシアがアフガン人をたくさん殺した、だから、ロシアは大嫌い。
インドはカシミールでたくさんのパキスタン人を殺した。だから、インド人は大嫌い。アメリカもこれで大嫌いになった。
私たちの雇っているタクシードライバーも闘いになったら銃を持って戦うと言った。
イスラマバードのラールモスクで (子どもと一緒)
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