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インド東部ジャドゴダ・ウラン鉱山の村

Village of the Uranium mine in Jadogoda INDIA

「それでも、ブッダは微笑むのか?」

核に苦しむ先住民

30年前、インド東部の先住民族の住むジャドゴダはウラン採掘の村として、核開発の最先端を行く村になった。 しかし、その陰で、野放しの放射性廃棄物投棄によって、環境は汚染され、 住民に、ガン、白血病、流産や奇形が発生している。 何の知識も持たない先住民の村はいまも汚染され続け村人はみな病気だ。核秘密を守るため、 この村は外国メディアが近づけない地域になっていた。

「前世に悪人だったからいま苦しんでいるのよ」と言う住民たちはようやく、 その苦しみが前世から引き継がれたものでなく、ウラン鉱山から出された核のゴミが原因で あることを知るようになってきた。
20歳の出産直前の女性の葬儀
一周忌。20才の女性が出産直前になくなった。村中の人が集まって儀式は3日間続いた。(ボラカタ村)
 インド東部ビハール州・ジャドゴダはカルカッタから列車で西に5時間、周囲を小高い山に囲まれた、山岳地帯にある。
 ここに30年前からインドでただ一つ操業を続けているインド国営ウラニウム会社(UCIL=Uranium Corporation of India Limited)のウラン鉱山がある。
 ウラン鉱山開発のため土地を奪われた先住民は生きるために、鉱山労働者になり粗末なマスクだけの劣悪な労働条件のもと次々と肺ガンなどで倒れていった。
 同会社は周辺の環境汚染には全く考慮せず、ウラン鉱山からの廃液は廃棄物投棄用ダムに捨てられ環境を汚染している。 さらに、82年からは中部インドのハイデラバードにあるウラン濃縮工場から送られてきた、放射性廃棄物を一緒に捨てているのだ。
 ダムには柵もなく、何の知識もない周辺の住民が自由に出入りし、家畜に水を与え、洗濯や行水を行っている。乾期には土埃が舞い上がり、放射能汚染物質が周辺に まき散らされている。いま、新しいダムが建設されているが驚くことにダムの建設用土砂として、ウラン鉱石の鉱滓が使われているのだ。ウランを取った残り滓とはいえ、 完全に放射性物質が取り除かれているわけではない。国際的基準も無視している。
バンゴ村は放射性廃棄物投棄ダムから二キロ南にある人口1500人の村だ。 村の池は行水、洗濯、など村の生活に欠かせない。鉱夫がウラン鉱山から持ち帰った、作業着などの洗濯水がそのまま池に流れ込んでしまう。
 ダムに隣接して村が広がり、そこには数千人が生活している。さらに、ダムから5キロ以内の所には15村、3万人が住んでいる。
 ウラン鉱山周辺にはガン、白血病、先天性異常や不妊、流産、が多発している。 鉱山労働者になった村人は安全教育も行われず、自らも肺ガンや皮膚ガンなどで倒れていった。
 シャンカル・マージクさん(55歳)は3年前15年間働いた鉱山をやめた。原因は肺ガンになったからだ。 「坑内でマスクもつけず作業した。マスクや防護服は会社の えらい人だけがつけていた。我々には危険だと言う説明はなかった。 木綿の作業着は家に持ち替えて洗濯した」といって苦しそうに咳き込んだ。
 バンゴ村は3番目の放射性廃棄物投棄ダムから2キロ南にある。人口1400人の小さな村だ。 ちょうどヒンズー教の祭りが行われていた。 祭りの会場に集まっていた子どもの中に足の指が完全に欠落している子どもや、口蓋裂傷の子どもがいた。 話を聞いているとたくさんの人が周りに集まって来た。 その中にもう一人、片足のない子どをみつけた。
「この子は前世に悪人だったのよ、だからいまこうして苦しんでいるのよ」と周りにいた大人たちが口々に言う。 これが生まれながらにハンディーを持った子供に向けられる言葉かと一瞬とまどってしまった。
口蓋裂傷のモントゥー君(13歳)。彼を取材中集まってきた子どもたちの中に同じ症状の子どもがいた。(バンゴ村)
生まれたときから片足がない男の子
(バンゴ村)
両足の指が奇形の少年
(バンゴ村)
 敬虔なヒンディー教徒の住民は異常に多い病気や奇形児の発生が「神の仕業だと信じ込んできた」。
 村の医師アナディ・ランジャンさん(35)は「15年ほど前から増え始めた。村には約400人(0〜15才)の子どもがいるが先天異常は12例ある。その他に、 子どもたちは貧血や様々な病気になっている、みな放射能のせいだ」という。  UCILは住民の健康異常は「ウラン鉱山と関係ない」と主張しているが、 ビハール州環境委員会はジャドゴダの環境汚染について「先天性疾患や皮膚以上、 不妊症の原因が放射線の影響であることは明らかだ、 会社側の事実否定には納得できない」と報告(1998年)している。
 第3ダムの工事現場は早朝から日没までダンプカーがホコリを舞い上げながら、 鉱滓を運び込んでいる。ダムから一番近い民家は100メートルしか離れていない。
 精錬された天然ウランはラカマイン駅から積み出され、インド中部のハイデラバードで核燃料に加工された後の放射性廃棄物が再び運び込まれ、 ジャドゴダのダムに投棄されている。放射能のマークの着いた貨車が引き込み線に停車していた。
 24年前インド初の核実験を行った。「ブッダの微笑み」はその時の核実験のミッションネームだった。「ブッダはこの子どもたちを見て微笑んでいるとは思えない。 我々の守り神は嘆き悲しみ、涙をこぼしていなさるだろう」と村でUCILに被害者の救済と補償を求めているジャルカンド反放射能同盟のガナシャム・ビルリさんはいった。 山間の村は静かに死と向き合っている。
生まれた時から片方の目しか見えず、立ち上がることもできない男の子(8才)

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