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カイバル峠。難民の帰還や救援物資を満載したトラックがひっきりなしに通る。 |
5時起床。5時40分カニーズホテルをチェックアウト。
牧君と私はトライバルエリアを通過する許可証も持たず、
バスならアフガン帰還難民に紛れて、国境を強行突破出来そうな気がして、
バスに乗ることにした。もうこれ以上パキスタンで無駄な時間を過ごせないという事情もあった。
外は暗い。車ほとんどなく、5分後に乗り合いバスをつかまえTorkham行きのバス停(General Bus Centerの左側)着。
すでにトルハムTorkham行きのバスが客を待っていた。
300ルピーで荷物と二人分。幾つかのチェックポイントを無事通過。
8時ハイバル峠から国境のTorkham着早速出国手続き。
パキスタン側のゲートが開き、出国手続きを済ませた難民が一斉にアフガン側に向かって歩き出した。
ある者は大きな荷物を抱え、小さな子どもの手を引きながら。
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兵隊なのか農民なのか、 男はみな銃を持っている。 |
我々のトランジットビザは2日間のオーバーステーをしている。
許可証がなければダメと結局ペシャワールに戻ることになった。
タクシーをつかまえ、トライバルエリア通過のため、警備の兵隊を着け再びペシャワールに戻る。
午前中とはいえすでに30度を超えている。窓を開けると熱風が車内に入ってくる。
オーバーステーの許可証は簡単に取れ再出発。
しかし許可証の内容はオーバーステーの許可ではなくTorkhamで国境を越えるという許可証だった。
これで国境を越えられると思いきや、
トライバルエリア入り口の最初のチェックポイントでトライバルエリアの通行許可証がなければ、ダメという。
また引き返し、オフィス・ホーム&トライバルアフェアーズ(博物館の近く)のMr.Zaralに許可証を作ってもらう。2通作ってくれる。
一通を市内の警察署に持って行き、トライバルエリアに入る最初のチェックポイントで護衛が乗り込んできた。これでトライバルエリアを通過できる。
2時過ぎ国境に到着。タクシーに往復で2000R払う。
出国係官に、トライバルエリア通過許可証の残りを渡し無事に国境を通過。
アフガンに入ったとたん、無政府状態の感じ。無宿者の支配する世界のようだった。
どこからアフガンなのかはっきり境界線がわからず、入国。入国審査はどこ
でやるのか看板もないのでわからない。道ばたにいた兵士に訪ねると、事務所の建物を教えてくれた。
国境を背にして左側のレンガづくりの平屋建ての建物が入
国審査をする事務所だ。中にはいると日本語で「いらっしゃいませ」「こんにちは」と話しかけてきた係官がいた。
日本で車の部品の解体の仕事をしていたと言うアマーン君だ。
簡単な事務手続きが終わるとアマーン君は「通訳とガイドはいらないか」と聞くので、
これから探すというと、「僕がやってあげる」と親切にいう。
入国審査の仕事はボランティアでやっているからいつでも辞められると言う。
仕事を放り出し、われわれの通訳兼ガイドに変身した。
アマン君は銃を胸の革製のホルダーにしまい込み、ムジャヒディンだったので銃を持っているのだという。
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パキスタンからようやく国境のトルハムについた。 これから、アフガンに入る。 |
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入国審査のボランティアをしていたアマン君。
この後我々の通訳兼ガイド兼ガードに雇ってしまったので、
その後入国審査はどうなったのか知らない。 |
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麦刈り |
ジャララバードまで一気に下った。途中、美しい農村風景が広がっている遠くには4千メートルを超す山々が万年雪をたたえている。
豊かな農村地帯。飢餓、飢饉等のイメージはここにはない。麦刈り、川の渡しを撮影し、車はジャララバードに向かった。
ジャララバードの手前で国内難民のキャンプを見かけた。
何重にも連なるテント群、その背後にはパキスタンの国境に達するトラボラの山並みが白い雪をかぶっていた。
夕方、Jalalabardの街にはいる。街はどこにでもある雑然とした街だ。リキシャーやタクシー。カローラが多い。
兵士なのか市民なのか良くわからないが銃を持った男が目に着く。活気にあふれている。
アフガニスタンホテルにチェックイン。1泊30$。疲れた、脱水状態。
下痢は止まったが睡眠不足と疲労、暑さ、栄養不足でがっくり。シャワー浴びベッドの横になり、
1時間ほど休み空腹感を覚える。牧君が食事から帰り交代でケバブを食いに行く。
5日ぶりのちゃんとした食事。うまかったが半分でやめておいた。
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「渡し」であった泳いでいた少年。 |
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