ホームへ
[イラクレポート 総合Index]
[セミパラチンスク] [コソボ レポート] [沖縄のレポート] [バルカンシンドローム] [アルバニアゲリラの村潜入記]
[インド ジャドゴダ・ウラン鉱山] [ビキニ水爆実験] [ウラルの核汚染] [ウィーン フィルハーモニー]
[セミパラチンスクの戦車基地] [パキスタン レポート] [アフガン フォト日記] [著書紹介] [リンク集] [更新履歴]
English guide

アフガン フォト日記  2002

[5/4]  [5/5]  [5/6]  [5/7,5/9]  [5/10〜5/16]

5/7(Tuesday)

アフガニスタン滞在13日
毎週土曜日、村はずれの広場で開かれるバザール。
テントの下でアヘンの取引がおかなわれている。
私が近づくと男たちはケシの葉にくるんであるアヘンを
布にくるんで隠してしまった。
お茶を飲んで行けと声がかかった。


ジャララバードからカブールに行く幹線道路

ゴミ箱から金目の物を集める少年(カブール)

空爆されたタリバン時代の放送局

市内の高台は水道施設が破壊された。
毎日、水汲みは毎日欠かせない。


カブールの町

町の両替商

夜明けとともに子どもたちが我々が寝ている家の外に来て木戸をドンドン開けようとしている。 小鳥がさえずり、水路の水の音が心地よい。 家の前にはペシャワール会が掘った井戸で子どもたちが水汲みをしていた。
 朝食後、ケシ栽培農家の取材で畑に。農民はすでに、畑に出ていた。 耕作面積の4分の3にケシを栽培している。青いケシの実に傷を付けるとと白い液が出る。それを2,3日後に収穫する。 ケシ栽培は今年1月に新政権が禁止令を出したが、この山奥の村には政府の威光は届かない。 ガードとしてついてきた兵士も収穫作業をじっと見守っているだけだ。
 彼らにとってもう100年も続いている文化なだ。彼らはケシがアヘンになることは、もちろん知っている。 ケシから採ったアヘンは一キロ2万ルピー、10キロのアヘンから1キロのヘロインが出来て20万から30万ルピーで取引される。 麦は1キロ20ルピー。他に現金収入の得られない農民は当然のようにケシを栽培する。 「麻薬を作っていることをどう思うか?」と聞いても「ケシは日照りに強い。 他の作物ではこの当たりではやっていけない。長いこと作り続けている農作物だ。 それを誰がドラックに変えているのかは私たちの知るところではない」と言っていた。
 ケシ栽培は全体の4分の3ほど、残りの4分の1は麦を作っている。 ちょっと意地悪な質問だったが、「なぜ、4分の1の畑には高額収入の得られるケシを作らず麦を作るのか」と聞いてみた。 以外にも、自分たちの食料と麦藁は牛の為に必要だ、と言う答えが返ってきた。 経済効率だけではやっていない、農民の心を持っている人々なのだと見直してしまった。 (だからと言ってケシ栽培を肯定しているわけではないが)
 ケシが終わると粟、稲の栽培をする。 タリバン時代は売り上げの10パーセント税金を払えば栽培を許可した。
 収穫が一段落して休んでいる男たちのグループの中にタリブだという男(ムラナ・ハズリホダーさん、55才)がいた。 「タリバンが去ったら日も照るようになったし雨も降るようになった」 「タリバンと言うことで差別されたり迫害されない」と現政権が声明を出したので何も心配していない。と言っていた。 でも回りの男たちからは「こいつはタリバン」とからかわれているようだった。

5/9(Thursday)

アフガニスタン滞在15日
 8:45ジャララバードのホテル発
 アマンが70年代製のランドクルーザーを雇ってきた。
 ジャララバードからカブールへの道は未舗装の山岳道路。カブール川を上流にたどりながら次第に急流となりやがて、急峻な山岳地帯のど真ん中に入り込み、いつの間にか流れは消えていた。道はさらに激しい登りをトラックなどがあえぎながらゆっくりと上って行く。最後のトンネルを抜けると下りが続き、ようやく開けた風景が広がり、高原地帯のさわやかな風が車窓から弘込んでくる。長時間車に揺られるとこんなにも辛いものかと言うことを始めてしった。ホコリはあらゆる隙間から入り、髪の毛は灰色で、ごわごわになっている。
 カブール市内にはいる手前には軍事施設があったのか激しく破壊されている。これが最近の砲撃なのかいつなのか解らない。20年続く戦火が街をずたずたにしてしまった。
それでも、市内に入ると、どこかソ連の街の雰囲気がだだようアパートの団地があり、ソ連支配時代をしのばせている。
中心から少し外れたところに、バザールがあり、トマト、キュウリ、レタス、肉、などの食料品、衣類、時計、貴金属、携帯ラジオなどを売っている。 まるで、戦後の日本のようだ。
 国連関係、国際治安支援部隊、ジャーナリストなど、外国人が一期に増えたため、ホテルやタクシー、など物価が跳ね上がった。 帰還した難民も集中し、住宅家賃の値上がりで、今まで住んでいた人が払いきれず、家を追い出され路上生活を始めた人も出ている。 街には物乞いがたくさんいる。 ジャララバードと比べて物価は約2倍以上の感がある。 水道施設が破壊された町には手押しポンプがあり、子どもたちが水汲みをしている。 山の斜面の家には運び屋が水の入った一斗缶を天秤で担いで運びあげる、商売も見かけた。 電話施設はタリバン時代中国の援助で最新式のシステムが導入されていたが、 空爆で破壊され、衛星電話を持っている人しか、通信できなくなり、一層生活上の格差を広げている。

 このサイトの写真・文章の著作権は、森住卓に属します。無断での二次利用を禁じます。 
 Copyright morizumi takashi