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セミパラチンスクの戦車基地

Tanks base in Semiparatinsk KAZAKHSTAN

 戦車基地を見つけたのは1994年、初めてセミパラチンスク核実験場の取材で核秘密都市クルチャトフを訪れたときだ。 セミパラチンスク市からバスで郊外にさしかかったとき、左側の車窓から戦車の砲列が延々と続くのが見えた。 この戦車群は何か、何故ここにこんなに沢山あるのか?私の疑問はセミパラチンスクを訪れる度に膨れ上がっていった。 直接取材の申し入れを行った。が、直ぐに断られた。
 その機会はひょんな事からやって来た。昨年、セミパラチンスクから広島に医学研修で来日中の医師に会う機会があり、 その席上、戦車基地の話しをしたら、 「私から頼めば簡単に取材できる」という。彼の家族や親戚は軍関係にたくさんのコネを持っており、簡単だという。 この国は正式なルートでは何もできない、無駄な時が過ぎるだけ。 いかにコネクションをつくるかだ。公式な取材申請はあくまでも建前だけ。話はコネクションルートで進められる。
 彼が帰郷した今年、取材協力のお願いした。すると、司令官が替わってしまい簡単に出来なくなった。 カザフスタンの日本大使館から取材紹介の手紙を国防省と情報省に出してくれという。 大使館にお願いすると、「出版社から手紙をもらえれば出しましょう」という。 急遽東京のフライデー編集部に電話し、アルマータの日本大使館にファックスで紹介の手紙を送って貰った。 日本大使館は早速、カザフスタン共和国国防省と情報省に手紙を送ってくれた。
撮影中、手を振る若い兵隊達。エンジンの整備をしていた。
 手紙での要請を出させるのは、後で問題にならないようにするため。ここには、ソ連時代の秘密主義が生きているのだ。 その秘密主義の壁はコネによって簡単に越えられる。これもソ連時代に作られた「伝統」。
 こうして、一月末、この地方を管轄している東カザフスタン軍区司令官(将軍)に面会することがようやく出来た。
 セミパラチンスク市庁舎の前にある古い煉瓦造りの建物がカザフスタン共和国国防省東部軍区。 いかめしい名前の建物の中で迎えてくれたのは私と同い年の最高司令官エルタイェフ・バハトジャン将軍。 人の良さそうなどこにも居そうなカザフ人のおじさんだ。 取材の趣旨を改めて話したら「核実験場の取材と戦車は関係ないじゃないか、 何故戦車に興味を持っているのか」と逆に質問され 「写真家は映像的におもしろいものなら何にでも興味を持つ、 まして、冷戦時代の遺物がいまは平和のシンボルとしてここにあるという時代を捉えたい」と力説し、ようやく許可が下りた。
 真冬のセミパラチンスクはマイナス20度以上の厳寒だ。 戦車はこの一週間降り続いた雪ですっぽりと覆われ砲身だけを突き出していた。 イラク--クウェート国境の砂漠で米軍の劣化ウラン弾によって破壊され赤く錆びた同型戦車を思い出した。 1991年の湾岸戦争における地上戦で、 イラク軍の誇るT-72戦車群はアメリカの最新鋭M1A1戦車の発射する劣化ウラン弾によって完敗してしまった。 「もはや第三世界の兵器は劣化ウラン弾の出現によってスクラップと化してしまった」と言う当時のアメリカ軍高官の言葉を思い出した。 しかし、T-72シリーズは、ハイテク化では西側諸国に遅れてはいるものの、 安価で生産性が良いため、現在でも第一線の戦車として多くの国々で使用されている。
 何故ここに2000両もの戦車が集められたのか?その疑問に司令官は次のように応えてくれた。 「CFE(欧州通常戦力削減条約)だ。 NATO16カ国・ワルシャワ条約機構6カ国で結ばれたこの軍縮条約の適用範囲は大西洋からウラル山脈まで。 92年の条約発効に備え、旧ソ連軍は条約違反となる過剰な戦車をウラルより東のこの地に一時避難させたのだ。 しかし、ソ連の崩壊、カザフスタンの独立などで2000両の戦車は用済みとなってしまった。 結局東側への兵器流失を恐れたアメリカの援助でスクラップにされることが決まった」という。
 基地のゲートで現場責任者が出てきて、基地の中に入っちゃダメ、外から撮れ、という。 最高司令官の言っていることと違うじゃない。もうスクラップになるようなものを、 後生大事に隠しておいてどうするの。「話が違うじゃないの」と言っても、もうラチがあかない。 基地正面ゲート近くでは戦車の猛烈なエンジン音が響いていた。 出てきた下士官らしき、ロシア人のおじさんは50メートル以上フェンスに近づくなと威張っている。 2000台も並んだ戦車の迫力を出したいので、もっと高い位置から撮影させろ、 とゲートの前に停まっていた軍用トラックを持ってこさせた。
 トラックが到着する間、基地の中でフェンス越しに戦車をいじっている兵隊たちを見つけたので 望遠レンズを向けると手を振って応えてくれた。 一般兵士には秘密も何もないのかもしれない。トラックはどこか別の基地に行く途中らしく、 幌のかぶった荷台にはたくさんの若い兵士が乗っていた。幌の破れた隙間から、 若い兵士たちが「韓国人か」と聞いてきたので日本人だと応えた。 良いポジションを見つけるため基地の脇の道路を走り回りようやく適当な場所を見つけ駐車させ、 運転席の屋根によじ登って撮影した。
 撮影が終わって、ホテルで遅い昼食を食べているとき、通訳のアヌワル君が 「将軍が平和のために・・・・。というのは、すごく滑稽だよね」と言っていた。 戦争がなければ仕事がなくなってしまう戦争のプロに平和を語る資格はあるのか。 世界中の将軍が平和を語りながら片方の手には銃を持っている。滑稽ですね。

追記:
撮影後、地元テレビ局の記者に撮影の経緯を話したらジャーナリストに軍関係 の立ち入りを許すのは異例のことだと言っていた。これはコネの力です。

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