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ウィーン フィルハーモニー

その他の写真もご覧ください。

コンサート練習ホール
学友協会の大ホールはウィーンフィルのホームグラウンド。
ウィーンフィル独特のしっとりした響きは
彼らの演奏と相まって木造建築が醸し出す音色だ。
エアコンがないので、夏暑く冬寒い。
 「ウィーンフィルの撮影をお願いしたいの」と親しくしている音楽関係の書籍や雑誌を編集しているプロダクションから電話が来たのは1991年秋のことだった。 翌年1992年はウィーンフィル創立150年にあたり「ザ・ウィーン・フィル管弦楽団」(読売新聞社刊)という本を記念出版するのだと。
 私は、音楽に特別興味はなかったし、まして、クラシックの世界にはほとんど縁遠い存在だった。 環境問題や軍事問題など社会的なテーマをずっと追い続けてきた、いわゆるドキュメンタリー写真家なのだ。
 その私に何故と?プロダクション編集者に質問をぶっつけてみた。 「ドキュメンタリータッチに撮って欲しい。自由に撮っていいよ」さらにこうも言った。 「これまで音楽写真というのは決まり切った写真が多くてつまらない。 全く違ったジャンルの写真を撮っている人の方が新鮮な受け止め方をしてくれると思うから」と。 その言葉にもしかしたら、自分自身の新しい才能を見い出せるかもしれないと、一も二もなく引き受けることにした。
 モスクワ経由でウィーン国際空港に到着したのはすでに夜になっていた。 翌朝、街に出ると、昨夜の雨でしっとりと濡れた街全体が美術館や博物館のような建築物が立ち並んでいる。 壁や柱には彫刻が彫られ、古い建物と新しいビルがうまく調和している。
 初めてウィーンの空気を吸う私は何故か心が解き放てれてゆくような、とても気持ちよく呼吸が出来る街のように感じた。 パリよりも明るく、しかしけだるい、ちょっと退廃的で、歴史を感じる。全てを許してしまうような大きな懐もある。いっぺんに好きな街になってしまった。
コンサートの朝 わかもの
定期演奏会の朝、
誰もまだ来ていないホールの入り口で
調整をしていた一番若いメンバー
 定期演奏会を前にしたウィン・フィルは根拠地であるムジークフェライン(楽友協会)のホールで朝十時から昼まで練習をしていた。 取材の初日は私も緊張していた。大ホールに入ると一面金ピカ、黄金のホールの世界だ。 一瞬なんて趣味が悪いのだろう、成金のオヤジが造った御殿じゃないの・・・。 これが私の正直な第一印象だった。だが、撮影を進めていくうちにそんな第一印象は吹き飛んでしまった。 初めて聞くウィーンフィルの響きのなんと心地よいことか。日頃、シリアスな場面ばかり追いかけているドキュメンタリー写真家としては心が癒され、 無心になってシャッターを押させてもらえる空間になっていた。
 神経をピリピリさせている楽団員の前を行ったり来たり、客席最前部から後ろから横から、 そして二階からうろちょろしている日本から来た変んなカメラマンをはじめはほとんど無視して練習に没頭しているようだった。
 プログラムはラフマニノフの交響曲第二番など。指揮者はアンドレ・プレヴィン。 こがらでちょと猫背なプレビンが指揮台に立つとざわついていたステージにピーンとした空気が張り詰める。
プレヴィン(Purevin)
定期演奏会の練習で指揮をとるプレヴィン
 練習の合間にはプレヴィンと楽団員とが演奏について意見交換していた。 若い団員も年配の団員も次々と意見を出し、誰の意見も尊重するという雰囲気が漂っていた。
「民主的に楽団を運営していくことが楽団員の自主性と主体性を保障しウィン・フィルのアンサンブルを可能にしている」と楽団長のヴェルナール・レーゼル氏はインタビューに答えていた。 ウィーン・フィルの響きは自主性の尊重と民主的運営の中に秘密があるようだ。
 ウィン・フィルの持っている民主的運営の理念は創立当時のフランス革命や三月革命の影響を強く受けていたと思う。
 毎日朝早くから練習の終わるまで、シャッターを押し続ける私に「おれは日本製のカメラを持っているんだ、とても気に入っているんだ」 とか「最近、別荘を建てたんだが庭は日本風庭園にしたんだ」と写真を自慢げに見せながら親しく話しかけて来る楽団員たち。
ヴァイスさん
ビオラ奏者のヴァイスさんの家で、娘さんと
 練習のじゃまにならないように気を使いつつもまったく制限を受けず私の好きなところから撮影させてくれた。 みな気さくで決して偉ぶらない楽団員だ。 そんな一人ビオラ奏者のヴァイスさんの家庭を撮らせてくれないかとお願いしたら、いつでもいいよと言う。 練習が終わった午後、お宅に連れていってもらった。 楽友協会から歩いて10分ほどの静かな住宅地に建つ古いアパートの3階か4階だったと思う。 天井の高い落ち着いた雰囲気の部屋で2人の娘さんと撮影させてもらった。 帰り際に150周年記念発売のブラームスの4番を録音したCDをいただいた。 これは日本に一つしかない私の宝物となり今でも大切にしている。
 彼らの本業はウィーン国立歌劇場管弦楽団での演奏だ。ここでの演奏も是非撮りたいと思っていた。 オケピットの入り口には分厚い木製のドアーがあり中央に小さな丸いガラス窓が開いていた。 丸い窓をのぞき込むと、練習していたコンサートマスターのヴェルナー・ヒンクと目があった。 すかさず中に入って撮影したいと、カメラを構えシャッターを切る真似をした。彼は「入って来い」と手招きしてくれたではないか。 オーケストラ・ピットの中での撮影まで許してくれるのだ。
 撮影は順調に進み幸い出来上がった写真は好評で、今でも自分の撮った写真の中で一番好きな写真である。 結局一週間毎日かぶりつきで彼らの演奏を聴いていたことになる。
楽友協会外観
楽友協会(ムジークフェライン)外観
 帰国後、自宅でFMラジオから流れてくる曲にふと耳が奪われるときがある。 そんな時は決まってウィーンフィルの演奏なのだ。不思議なことに他のオーケストラの演奏とウィーンフィルの音を聞き分けられる。

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