Kama Film
近所の子どもたちが集まってきて、
どの子がムスタファの兄弟姉妹なのか
見分けがつかなくなる。 |
病院で撮影中のスタッフ |
ムスタファ |
白血病の少女ラシャは「私のことを忘れないでね・・・・」とノートをちぎった紙切れに書き残して短い命を閉じた。
1998年12月イラク南部バスラの病院で鎌仲ひとみは湾岸戦争後の子どもたちを取材中、この少女に出会った。
少女ラシャの死は最大のショックだった。
彼女との出会いが、自主制作フィルム「HIBAKUSHA 世界の終わりに」を作る決定的動機になった。
この映画は日本の被爆者、アメリカの被曝者、イラクの被曝者を追っている。
9月中旬、アメリカの攻撃がいつ始まるのか世界が注目するイラクに再びやってきた。
平和に暮らすイラクの普通の市民の生活と忍び込む劣化ウランによる核汚染の恐怖を撮影するために。
撮影はイラク南部クルナという小さな村。チグリス川とユーフラテス川の合流点にある。
そこで暮らす白血病の少年・ムスタファ(9)とその家族を暮しを追った。
撮影は一週間という短期間だったが、イラク情報省のコントロールの元では異例の長期間撮影が許された。
しかも、撮影地はイラク南部。軍事的、政治的に非常にナーバスな地域での撮影はまさに異例のこと。
村人たちは始めての外国人にものめずらしさも手伝って、とても友好的で、
ムスタファの家族や親戚が毎日たくさん集まって来ては撮影を見学していた。
この後撮影はアメリカワシントン州のハンフォード核工場へと続く。
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