更新:

スライドショー
Nuclear Blue-核に蝕まれる地球
イラク・湾岸戦争の子どもたち
イラク戦争--戦禍と核汚染の中で
Dear Boys-バグダッド路上の子たち
セミパラチンスク核実験場の村
森住卓写真展TOPページ書籍・ポストカード・ポスター 写真展スケジュール写真展開催申し込み森住卓ホームページ
森住 卓 プロフィール | 展示写真サムネール各地の写真展からのご報告・感想 | 今までに開催された写真展お問合せE-mail

 

旧ソ連は核兵器開発のため、1945年ウラルの森の中にプルトニウム生産工場を造ることを決めた。テチャ川水系の豊富な水と秘密を守れる深い森は核兵器生産に最も適した土地だった。計画から2年半で暗号名チェリャビンスク40(現在はオジョールスク)という秘密都市が建設された。ここは最近まで地図にも載せられていなかった。
現在も、ロシア人すら入ることができない秘密都市だ。

1948年からプルトニウムの生産が始まった。プルトニウム生産コンビナートは「マヤーク」(灯台)と呼ばれた。ここから出た大量の放射性廃棄物はテチャ川に垂れ流された。垂れ流しは1949年から50年代半ばまで続き、放射能は曲がりくねったテチャ川のよどみに滞留し沈殿し周辺の村々を汚染した。放出された放射性廃棄物は275万キューリーに及ぶ。 テチャ川流域には39の村があり、29万人が暮らしていた。周辺住民12万4千人が被曝し、白血病、ガン、先天性異常などで倒れて行った。さらに、1957年の放射性廃棄物貯蔵タンク爆発事故,1967年には液体放射性廃棄物を投棄していたカラチャイ湖が日照りで干上がり放射性廃棄物が粉塵となって風で運ばれ、2,700平方キロが汚染された。

1954年3月1日村長をしていた、ジョン・アンジャインさん(28才=被曝当時)早朝、西の空を見ていた。突然、西の方から赤や黄色、真っ白い光が水平線の彼方から立ち上ってきた。その後大きな爆発音と島全体が揺れ、爆風で木が倒れ家や机が倒れた。10時ごろになると死の灰が降ってきた。飲んでいたコーヒーの中にも死の灰が入ってきた」と当時をふりかえる。

 

チェルノブィリ


Nuclear Blue 核に蝕まれる地球展示写真サムネール

インド・ジャドゴダ    アメリカ    マーシャル諸島   ロシア・チェリャビンスク  チェルノブィリ 

20年目のチェルノブイリ イラク  カザフスタン・セミパラチンスク  旧ユーゴスラビア   福島

 

このページで使用している写真・文の著作権は森住卓に属します。無断での使用は禁じられています


写真展に関するお問合せ、写真展のサイトへのご意見などはこちらへ⇒