放射能に襲われた風下の村
ドロン村の人口は核実験が始められた1949年、1349人だった。しかし実験場が閉鎖された 1991年には、当時の生き残りはたったの6人になっていた。
ヌルラン君は小学3年生の時、突然歩けなくなってしまった。父親のジュマルトさんは白内障の手術をしたが、見えなくなってしまった。 「核実験のせいだ」と言っていた。
(ドロン村1995年5月)
知的障害のある兄弟。両親は何度もモスクワに核実験被害の救済を手紙で訴えたが、 なしのつぶてだった。
(ドロン村1995年5月)
取材の意図を説明し、協力をお願いした。とくに写真で伝えられるような被曝者だと わかる人を紹介してほしい、という私たちの要望に、女医さんは戸惑い、「たくさんいるので誰を紹介していいか迷ってしまうほど 深刻なのよ」と顔を曇らせた。