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バルカンシンドローム2005年レポート
(ボスニア編) Balkan syndrom Bosnia 2005

セルビア共和国医療センター


ハジッチの軍需工場
(2001年3月)
サラエボを中心にガンが増え続けているという話を聞きつけ、同市近郊にあるセルビア共和国(スルプスカ共和国)医療センターを訪ねた。 同センターのズドラエル医院長がサラエボ地区のセルビア人のガンの発生状況を説明してくれた。 増加したガンは、胃、直腸などの消化器系のガン、腎臓、皮膚、膀胱、肺、血液などとともに多重ガンも多発している。99年頃から異常に気づき始めたという。ベオグラードのビエンチャ核研究所に患者の染色体を調べて貰ったが、異常が見つかったという。 NATO軍1995年にサラエボ近郊のセルビア軍のハジッチ軍需工場を劣化ウラン弾を使って攻撃したことはすでに知られていた。しかしズドラエル医院長は「ハジッチだけでなく、サラエボ近郊の軍事施設周辺でも劣化ウラン弾が使われたのだ」という。ガンが増加した原因はNATO軍の使った劣化ウラン弾だという。

ジェリュコさん

 セルビア軍基地でトラックの運転手をしていたジェリュコ・サマルジッチさんは1995年9月NATO軍の空爆に遭った。その後「戦争が終わってNATO軍が爆撃跡を調べに来た」とジェリュコさんはいう。弾丸の破片を拾って記念に持っていた。それが劣化ウラン弾の破片だった。1999年に直腸ガンになり、その後、副腎ガン、脳腫瘍が発生した。ブリュッセルで手術した。 ジェリュコさんはいま、生まれ故郷のサラエボから60キロ離れたスンブルバツ村に家族と住んでいる。静かな山間の村だ。家の前にはリンゴの木が小さな実をたくさんつけていた。お母さんが雨上がりの庭で鶏に残飯をあたえていた。それを子犬たちが一緒に仲良く食べていた。タバコを吸うため外に出てきた息子ジェリュコさんを見つめて母親は「今、生きていられることが信じられない」と言った。母親の言葉をじっと聞きながら「一緒に爆撃を受けた仲間が次々とガンで死んだ」とつぶやき、短くなったタバコを雨で出来た水たまりにポイッと捨てた。 ハジッチの軍需工場 サラエボ市内から来るまで時間ほどの所にハジッチがある。ここはある旧ユーゴ時代セルビア軍の軍需工場が戦車や軍需車両を生産していた。 1995年NATO軍はここを劣化ウラン弾で攻撃した。現在劣化ウラン弾は回収され、砲弾があたって出来た穴にはコンクリートが詰められ、警告の赤いペンキが塗られている。しかし、放射線測定器を近づけると今も高い値を示している。

劣化ウラン弾があたった壁。今も強い放射線を出している
(2005年9月ハジッチの軍需工場)

セルビア近くのセルビア軍基地でトラック運転手をしていたジュリュコさん
(2005年9月)

家族と一緒のジュリュコさん
(2005年9月)

放置された修理中の戦車
(2005年6月ハジッチの軍需工場)

劣化ウラン弾があたった所に赤いペンキで印がされていた
(2005年9月ハジッチ軍需工場)

ブラトナツの墓


ハジッチから来た人々の墓
(2005年9月ブラトナツ)
セルビア国境に近いブラトナツにはハジッチから移住した人たちの墓地がある。墓地には真新し墓石ばかりがずらりと並んでいた。 1995年デイトン合意によって、ハジッチ村のセルビア人住民はモスリム人と引き離すために、セルビア国境に近いブラトナツに15,000人が移住させられた。 移住先にブラトナツの病院の医師スラヴィア・ヨハノビッチさんはハジッチからの移住者の中に健康を害している人が多いことに気づいた。そして、4500人のハジッチ村出身者の健康調査を始めた。結果は死亡率はブラトナツ住民よりも、ハジッチから移住した住民の方が4倍も多いことが判ったのだ。しかも、悪性腫瘍が多発していること、中年には肺ガンや消化器系のガンが多いことが判った。「戦争やその後の避難生活でのストレス、劣化ウラン弾ももちろんその原因として考えられるが、もっと調べないとハッキリ判らない」とその原因については慎重な発言だった。
 2001年に撮影させていただいたエルリッチ。ジョボさんを訪ねたが、胃ガンの手術をしたあと、オーストラリアに移住してしまったと、近所の人が言った。彼は自宅に劣化ウラン弾を記念に持ち帰り「枕元に置いて寝るんだ」と冗談を言った事を思い出した。
村はずれの墓地の一角にはハジッチ出身者の墓がある。2001年には空き地が目立っていたのに、今はその空き地にも、びっしりと真新しい墓が出来ていた。 夫と息子の墓参りに来たゾーラック・ミルコビッチさん(1935年生まれ)は96年4月にブラトナツに来た。息子は戦争で亡くした。この町に避難してきてから2000年にガンで夫を亡くした。夫はハジッチの軍需工場で清掃作業をしていた。 「あそこは劣化ウラン弾がたくさん使われたからね」と顔を曇らせた。

墓参りに来たゾーラさんは息子と夫を亡くした。
(2005年9月ブラトナツ)

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