◆写真展の報告◆ 横浜・青葉区(2003年 3/26-4/4)吉多さん、中西さんより
横浜の「こどもの未来を考える会」の吉多です。
写真展が、無事終了しましたことの、ご報告です。
開催中、毎日、沢山の方達が写真を見に来て下さいました。
添付したファイルは、中西からのお礼が書かれております。
その中に書ききれなかったことを、私もこのメールでお伝えします。
写真展の会場へ、茨城から若い女の子が、来てくれました。自分にも何か出来ることがあればと、はるばる三時間程もかけて会場迄足を運んでくれたそうです。
又、イラク人の女性の方も来てくれました。彼女の複雑な気持ちが痛いほど伝わってきて、差し入れのお茶とお菓子を食べながら何時間も一緒に過ごしました。
イラクのこども達に食べ物や薬を届けることが、出来ないでいる自分が悲しいです・・・
会場に来て下さる方々は、圧倒的に女性の方が多かったです。
模造紙に桜の木を書き、ピンクの色紙を花形に切り抜き、皆さんに感想を書いてもらい、貼りました。横浜は写真展開催中、暖かい日が続き、桜が満開になりました。それと同時に会場の桜も、満開になりました。
今回、写真展を開催したことで、私達も戦争をただ黙って見ている状態から
戦争をなくすために、自分にも出来ることを行動する、という大きな勇気を
頂きました。
「森住 卓 写真展」ご来場のみなさまへ 2003・4・7
この度はお忙しい中を森住 卓 写真展「イラク・湾岸戦争の子どもたち」に足をお運び下さいまして誠にありがとうございました。
私たち{子どもの未来を考える会}がこの写真展を開きたい、と話題に出たころはまだアメリカによるイラク攻撃を予想もできませんでした。それがブッシュ大統領の「悪の枢軸国」発言からあれよあれよという間にイラク攻撃が現実味を帯びてくる中で、劣化ウラン弾の出現によって戦争の形態がまったく変わったといわれる現代戦争がもたらす実態の一端を、ぜひ多くのみなさまに見ていただきたいとの思いが強くなってまいりました。
いま湾岸戦争後に生まれた子どもたち、生き延びられた子どもたちの上にまた劣化ウラン弾、バンカーバスター弾が落とされています。
一枚一枚お孫さんに説明しながらご自分の戦争体験を重ね合わせて見てくださった方、学校でイラク人の話を聞いたからと来てくれた6年生の男の子たち、涙を流して見てくださったバングラディシュ出身の方、9・11のWTO事件からイラク戦争の話まで話しが尽きなかったご主人がイタリア人のご夫婦、アメリカ留学から帰ってきた女性と中東を一人であちこち歩き回った体験を持つ60代の女性が出会い、話されているところに、アメリカ各地のウラン鉱を写真に撮ってきた若者とそのお友達が加わって何時間も話に花が咲きました。そこへイラクの「人間の楯」から帰国した青年が飛び込んで来てくれました。
写真展の開催が未知の方々との出会いの場となり、ご来場くださった方々の縁結びの場ともなりました。この出会いから何かわくわくするような芽が生まれるような予感がいたします。個人では出来ないことも小さなグループではできました。小さなグループではできないことがもっと大きな輪になれば出来るような気が致します。今回の出会いが私たちにまた“みなさまと一緒に何かをやりたい”という勇気を与えてくださいました。
この写真展を開催するにあたりましては本当に沢山のみなさまにお世話になりました。
開催のチラシを友人から友人・知人へ、ご来場してくださった方の口から口へ、またご自宅の前のバス停にチラシを張ってくださった方、ミニコミ紙上、インターネット上に、また取材し掲載してくださった新聞社、お手伝い頂いた国際交流ラウンジのみなさま、その他いろいろなかたちでご支援いただきましたみなさまに心より厚く御礼申し上げます。
*経済情勢が悪化する中で沢山のカンパを頂戴いたしました。改めて感謝申し上げます。
「子どもの未来を考える会」一同