カザフスタンの国土面積は271万平方キロメートル、日本のざっと7.3倍。旧ソ連を構成した15の共和国の
中でもロシアに次ぐ大きさだった。 上空から見るカザフスタンはステップ特有の乾燥した台地が広がり、北はロシアに接し、 東から南にかけては山岳地帯が多くテンシャン山脈が中国、キルギスと国境をなしている。 西側はウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接する。 こうした位置にあるため、人口1700万人の民族構成も、カザフ、ロシア、ウクライナ、ウズベク、 タタール、ウイグル、朝鮮と多様だ。このうち朝鮮人についてはスターリン時代の暗い歴史が影を落としている。 第二次世界大戦中、ソ連と満州(中国東北)国境付近に住んでいた朝鮮人は、中央アジアに強制移住させられた。 ソ連時代はロシア人が最も多数を占めていたが、1991年の独立後、激しいインフレや経済的理由などから 多くのロシア人が去っていった。その結果、、現在ではカザフ人が人口の4割以上を占め、最大の民族になっている。 私の取材した何人ものロシア人もいつしかロシアに去り、連絡が取れなくなってしまった。 しかし、民族的対立があるかといえば、私の知る限りどの民族も仲良くやっているようだ。 このカザフスタンの地は、古くはテンシャン山脈を越えてシルクロードが通る東西交易の重要なルートであった。 奈良の正倉院の宝物もこのルートを通じて入ってきたのかもしれない。 私が初めてこの国を訪れたのは1994年8月。以後5年にわたり、年に1、2度の割合で取材を続けてきた。 日本人の容貌はカザフ人と見分けがつかないほどなので、どこへ行っても歓迎された。また私自身も、 欧米人とつき合うよりもリラックスしてつき合えたのは、シルクロードで結ばれていた民族の血が 通い合うからなのかもしれない。 |