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日パ旅行社の代表 督永忠子さんがつくったNGO「日パウエルファーアソシエーション」は地震発生当初から震源地近くのバラコットに緊急医療支援のテントを設立し救援活動を行った。私はその時以来、お世話になっている。
地震発生直後の緊急支援が一段落したあとの、生活支援ではバラコットからさらに奥に入ったヌーリー村の支援を行っていた。ここは当時、支援が殆ど行き届かない所だった。崩壊したヌーリー村の人々をイスラマバードに開設した難民キャンプに呼び寄せ一冬すごせるように全生活の支援をした。
2006年春、村に戻った住民の生活再建支援が続けられていた。
私は10月中旬その村を訪ねた。バラコットからジープで2時間半、急峻な山道を走ると、ヌーリー村の入り口のファリダバード似ついた。ここからは崩れた山道を直したばかりの細い山道を慎重に走ってゆく。途中、住民が崩れた道を直していた。急峻なために地震ではなくても雨が降ればすぐ崩れてしまう。 ファリダバードの地図 ファリタバードから20分、ヌーリー村に着いた。急斜面にへばりつくように住居が点在したヌーリー村は人口およそ2000人の村だ。 大げさに言えば、24時間斜面でバランスをとるために緊張していなければ、谷底に転げ落ちてしまうような感じの村だ。 それでも、わずかな平地を利用して崩壊した後の民家にバラックが建っていた。 同協会はここに小学校を開設していた。 子どもたちは常時40人前後。カリド・メハムード先生は4キロ先から歩いて通ってきた。一つ谷を越えた所に公立の小学校があるが、遠くて通いきれない子どもたちの為に開設された。 地震で両親や兄弟を失った子どもが何人もいた。 村の人たちは自分たちの学校を建設するために山に木を切り出しに行っていた。 週に2回昼の給食が出た。テント教室の隣のサイードさん(50)が作ってくれる。子ども達は楽しみにしている。今日はカレー味のピラフだった。具は何も入っていなかった。でも子ども達はおいしそう食べていた。 |
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