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冬を迎える被災地(ハングライ村)



支援の衣類の中にあった羽毛のフードを着けた幼い男の子(2005年12月28日ハングライ村)
 昨年10月に訪問したハングライ村は年末は雪もなく比較的穏やかな天候だった。 イスラマバードに戻って年越し、元日を迎えるた朝から雨が降り出した。 山は確実に雪だろうと、翌1月2日に雪の中の生活を撮りたくてもう一度、山に登った。 ハングライへの道は雪と度重なる地震で土砂崩れが起き、徒歩に頼るしかなかった。 膝まで積もった雪は重く、一歩一歩かき分けて昇るのは体力の消耗で結局、村に着いたのは2日目になってしまった。
 村の人々は私の再訪に驚き、大歓迎だった。 短靴での雪道は靴の中に雪が入り融けてびっしょりになり、凍傷にかかってしまいそうだった。 早速たき火をご馳走になった。子どもたちはゴム草履で裸足の子もいれば薄い靴下をはいている子もいたが、 雪まみれで素足は真っ赤になっていた。 昔の子供時代を思い出しましたが、家に戻ればこたつもあり、凍えた足を暖められた。 しかし、ここの子どもたちは、そのままにしてる。 もともと大した防寒着もなく冬を過ごしていたのだろう。 だからこそ厳しい自然の中で子どもたちの瞳は輝き、生命力にあふれているのであろう。
 現代社会の豊富な物に囲まれて、「便利に」生きている現代人が「被災者はかわいそうで助けてあげよう」という考えは奢りに思えてならない。 地球に生きるものとして、どちらが生命力が豊かなのだろうか? 生命力豊かな人々をなぜ、不幸に感じてしまうのだろうか? そんなことを痛感して新年を山で過ごしていた。
2006/1/20 記

支援品のトタンが手に入ったので雪の降る前にバラック小屋を建てる(2005年12月29日タタル村)

オオタカがたくさん空を飛んでいた。(2005年12月29日タタル村)

食事の火で暖をとる家族(2005年12月28日ハングライ村)

サーベルさんと息子のサケブがバラック小屋を作っていた(2005年12月28日ハングライ村)

夕方、焚き火で暖をとる村人(2005年12月27日ハングライ村)

支援物資の配給を待つ女性たち(2005年12月28日ジャバラ村のパキスタン軍キャンプ)

NGOの支援リストに署名するサーベルさん(2005年12月29日ハングライ村)

牛を放牧に連れて行く女の子(2005年12月29日タタル村)

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