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パキスタン地震被害取材レポート(2005)


一刻も早い被災者救援を!


倒壊したマンションは遺体が残されているのに、遺体捜索は断念し重機による片づけが始まっていた(10月17日)

負傷した少年(PMS小児病院)(10月17日)

負傷した少女(PMS小児病院)(10月17日)

負傷した少女(PMS小児病院)(10月17日)

負傷した少女(PMS小児病院)(10月17日)

負傷した少年(PMS小児病院)(10月17日)

ムザファラバードからヘリで運ばれてきた負傷者(PMS小児病院)(10月17日)
 未曾有の大惨事となったパキスタン北部地震はパキスタン国内に大きな社会問題を引き起こした。百万人以上の被災者は山間部から都市部に流れ込み難民となった。すでにイスラマバードには難民の受け入れテントがたくさん張られ、難民キャンプが作られている。しかし、一方でパキスタン通貨のルピーが地震発生後2週間で1ドル65ルピー前後から50ルピー前後に跳ね上がり景気の好況を呈している。
 今回の地震では大都会の被害はわずかだった。そのため都市部から被災地に救援物資が動いた。イスラマバードやパキスタン全土から商品が消えるほど、救援物資が必要になり、世界の同情を買って寄せ集められた資金がその消費に当てられ、一気に物価が跳ね上がり、好景気をこの国にもたらした。ある経済界の人間は「これでパキスタン経済は5年分先に進んでしまった」と言っていた。
 印パカシミール問題もこれを機会に良い方向に向かうのではないかという観測も流れている。
 常に、こうした災害で取り残されるのは弱者だ。今回も男が亡くなった家族。力のないコミュニティーは強い者にのけ者にされ、救援物資を奪われてしまう光景をたくさん見た。パキスタン社会の富める者と貧しき者の差はいっそう広がり新たな社会問題を引き起こすだろう。
 一方、イスラムの連帯の強さもまざまざと見せつけられた。パキスタン全土から被災者を救えと大挙して被災地に押し寄せた、イスラム同胞たち。彼らの活躍はすさまじいものだった。バラコットの町は全国から支援に駆けつけた人々で膨れ上がったように感じた。この国の人々は度重なる惨禍をイスラムという宗教があるからこそ乗り越えられてきたのではないかと思う。

※被災者救援募金は
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pearthquake.htm

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