アブドゥール君は、熱が出てお父さんとの再会を果たせなかった
アブドゥール・ラフマン君のお父さんが収容されている刑務所があるオムカッスルは、
イラクで一カ所だけ海に面し、貿易港で有名だ。
だがお父さんのいるオムカッスル刑務所はクウェートの国境に近い砂漠の中にあった。
私はバスラのホテルでアブドゥール君と叔父のアブドラさんと待ち合わせた。
アブドゥール君は3日前から熱が出て、楽しみにしていたお父さんとの再会を果たせなかった。
白血病が悪化しなければ良いのだが。
皆、無実であると私に訴えていた
車は1時間ほどでオムカッスルに着いた。
砂漠の街道から右にはいると砂漠の中に電波塔の鉄柱が立ち、そこを中心にテント群が見える。
全容は高い位置がないので見えない。周囲は有刺鉄線で何重にも囲まれている。
急ごしらえの捕虜収容所と言った感じだ。
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面会を待つアブドゥール君の叔父アブドラさん。
黒いビニール袋には慰問品のサンダルと歯ブラシなどが入っていた。 |
両サイドを背丈ほど積み上げた土嚢が通路になった入り口があり、
イラク人が押し寄せていた。奥には武装した米軍の兵士が警備している。
私はイラク人に紛れて米兵から身を隠し様子を見ていた。
イラク人たちはみな私に身内が無実で入れられていると訴えた。バグダッドやティクリートから来たという人が多かった。
どのようにして受け取ったのかわからないが、皆小さな紙切れに今日面会できる通知の番号を持っていた。
クウェート兵が面会家族の名前を呼び上げた。
周辺を土嚢と武装兵に取り囲まれた広場の検問所に連れ出され、厳重な身体検査を受けている。
所持品のいっさいをビニール袋に入れさせられ、面会所に行くバスが来るのを待つ。
思ったように撮影できず
バグダッドのアル・グレイブ刑務所は米軍が禁止しているため近くで写真を撮れない。
私は思いきって米兵に写真撮影の許可を求めたら意外にも、
検問所の米兵のいる方はダメだが、イラク人家族なら撮って良いと言って来た。
さらに、家族と一緒に面会したいというと、撮影できないがこれも許可してくれた。
写真家にとって撮影が出来ないのはとても残念だが、
ここで無理押ししても仕方ないので、素直に従った。
しばらく様子を見て、身体はイラク人家族の方に向け、
レンズだけ米兵の方に向けて何カットか、ノーファインダーで撮った。
イラク人が米兵に身体検査をされている姿が写っていた。
バスで刑務所内に入る
面会は2回に分けて行われた。後半になった。
アブドゥール君の叔父さんと一緒に迎えのバスに乗り込んだ。
イラク人の面会家族で満員のバスは、黒人の米兵が付き添って刑務所に入って行った。
建物は全てテントだった。刑務所と聞いたので、高い塀に取り囲まれ、
監視塔から四方を監視している施設と思っていた。
5分ほど走ると、面会所となる二つのテントと鉄条網で二重に囲まれた50メートル四方の広場に着いた。
幌付きトラックが入ってきた。
荷台にはオレンジ色のつなぎを着たイラク人男性が乗っていた。
トラックが奥のテントに到着すると男たちはテントの中に押し込められた。
オレンジ色の囚人服を着た男たちに混じって平服を着た男たちもいる。
広場が面会場になっていた。面会に来た家族の名前を一人一人チェックされた。
私は国籍をとフルネームを聞かれただけだった。チェックを行っていたのはエジプト兵だった。
ここではレバノン兵も働いてる。
収容されていた男たちが待ちきれずに、隣のテントの隙間から家族に手を振っていた。
面会者のチェックが終わると、テントから男たちが広場に入ってきた。
家族が目当ての男を見つけると、抱き合い再会を喜んでいた。
離ればなれになって10ヶ月以上になる夫婦や親子など、目頭にいっぱい涙をためて抱き合い、大きな声で泣いていた。
刑務所内の様子
面会時間はたった一時間。グループごとに車座に地べたに座り近況を伝えあっていた。
アブドゥール君のお父さんラフマンさんは背丈は165センチほどの中肉中背の精悍な顔をした男だった。
茶のシャツに黒っぽいズボンをはいていた。息子が来れなかったことを知らされちょっとがっかりしたようだった。
アブダルさん(ラフマンさんの義弟にあたる)は新しいサンダルと歯ブラシ、歯磨きクリームを持ってきた。
ラフマンさんは刑務所内の様子を話してくれた。
それによると、「ここには約2000人が収容されている。
2ヶ月前に170人が釈放された。毎日サッカーをしたり、読書をしたりして過ごしている。
食事は毎日朝と昼の2回。少し肉の入ったスープとライス、パン、卵が時々出る。
食物に中に髪の毛や、石が混ざっていたりするので衛生的ではない。
収容生活で12キロ体重が減ってしまった。
今下痢をしている。テント内は地べたにカーペットが敷かれている。
バグダッドのアブ・グレイブ刑務所よりここの方がましだ」と言った。
「米軍に協力する軍隊を送った日本は好きになれません」ラフマンさんは言った
面会は毎月1回許可されている。
3ヶ月前に息子のアブドゥール君に会ったお父さんのラフマンさんは髪の毛のない息子を見て自分の息子だと気付かなかった。
米軍に逮捕された後、我が子が白血病の治療薬の副作用で髪の毛が抜けたことを知らなかったからだ。
「私は子どもの健康がとても気になります。早く会いたい。ここにいては何も息子にしてあげられません。
しかし、神は私を守ってくれるでしょう」と言っていた。別れ際、「日本を私はとても好きです。しかし、米軍に協力する軍隊を送った日本は好きになれません」と厳しい顔で言った。
1時間の面会時間はアッという間に過ぎてしまった。
別れを惜しみ、夫にいつまでもしがみつく妻と子ども。
年老いた父親が息子を抱き泣きじゃくる姿は無実の罪で入れられている多くの家族が米軍への憎しみを募らせる姿でもあった。
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