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1954年3月1日史上最大の15メガトンの水爆実験で出来たクレーター |
どこまでも蒼く澄みわたったサンゴ礁の海、ヤシの木陰でおしゃべりをする島民、鶏や豚が放し飼いにされている。子ども達は珊瑚礁の海に潜って貝や魚捕りに興じている。島の名前はメジャット島。
周囲2キロほどの島には、300人ほどがトタンや板で囲った簡単なバラック住んでいる。3年前に来た時と何も変わっていないようだ。
浜に乗り上げたボートから、降りると子ども達が、駆け寄ってきた。私は久しぶりの訪問客らしい。
このメジャット島は1985年まで無人島だった。ここに移住した人々は、180kmほど離れたロンゲラップ島からやって来た人々だ。
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ジョン・アンジャインさんが持っているロンゲラップ島民の健康調査ノートはビキニ水爆実験被曝者自信による唯一の記録だ。
(イバイ島) |
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顎の奇形が起きたジューレさん(20歳)。甲状腺異常のため成長障害と知能の発育障害がある。母はガンで亡くなった。 (メジャット島) |
アメリカは広島・長崎に原爆を投下した1年後の、1946年7月、史上4番目の原爆を中部太平洋マ−シャル諸島の、ビキニ環礁で爆発させた。
以後13年間にビキニ、エニウェトクの二つの環礁で66回の核実験を行った。
1954年3月1日ビキニ環礁で行われた、米国の水爆実験「ブラボ−」は史上最大の15メガトンだった。
広島原爆の1,000倍のウルトラ水爆だった。
周辺海域で操業中のまぐろ漁船、第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝した。
ビキニから180km離れたロンゲラップ島民は避難させられずに、激しい衝撃波と爆風、そして放射能を含んだサンゴの粉が島中に降り積もった。いわゆる「死の灰」だ。
子供たちは初めてみる雪のような白い粉を身体にかけて遊んでいた。やがて激しい嘔吐、皮膚の炎症、脱毛などの急性放射能障害が島民を襲った。
その後米艦船に収容され、3年後、「安全宣言」を信じて、実験当時島にいなかった島民も一緒に、帰島した。しかし、残留放射能で島は住める状態ではなかった。
実験当時島外で無事だった人も、汚染されたヤシガニやパンの実、魚などの食物などを通じて内部被曝をしてしまった。
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水頭症ととも二分脊椎を手術した子ども
(イバイ島) |
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放射性物質を投与したという、エドモンドさんら数人の島民に届いた、アメリカ政府からの手紙。人体実験の証拠だ。 |
奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で次々に斃れて行った。
1985年、放射能汚染のひどい故郷を離れたロンゲラップ島民は200km離れたクワジェレン環礁のメジャット島に脱出したのである。
実験のときロンゲラップ島の村長をしていたジョン・アンジャインさんは被曝者の記録をつけている。
1冊のふるぼけたノートには当時の被曝者86人の名前が記されている。
名前の横にX印がついている。死亡者と甲状腺の手術をした人だという。
すでに38人が亡くなっている。(1997年時)無印の人は4分の1にも満たない。
ロンゲラップ島には実験の1週間前に米軍がやってきて「お前たちの命は親指の先しかない」とアンジャインさんの目の前に自分の指を立ててみせたという。
「みんなモルモットにされたんです」とくやしそうにアンジャインさんは言う。
その時からすでにロンゲラップ島の人々の運命は核開発競争に血道を上げたアメリカに握られていたのだ。
アトナール・ボアスさん(37)の母親はロンゲラップで直接被曝、彼女もロンゲラップで生まれ体内被曝をした。流産を3回経験している。
しかし、毎年検診に来るDOE(アメリカエネルギー省)の医師には絶対話さない。
「被曝当時から、私たちに何も治療してくれませんでした。やけどのひどい人にも海水をかけて洗いなさいと言うだけで何も薬をくれませんでした。
具合が悪いと訴えても毎回、血を採られ、髪の毛を採るだけでした」
「アメリカは責任を認め私たちにきれいなロンゲラップを返して欲しい。すべての被曝者に十分な保証をして欲しい」という。
94年子ども達の健康調査をした日本の医師は子ども達に貧血、B型肝炎、ずいまくりゅう、体内にガンのある疑いのある子どもが異常に増えている事がわかった。
現在、アメリカはマーシャル政府と結んだ自由連合協定によって実験の時被曝した島に1億5千万ドルの補償金を出しているが
被曝者個人に対しての補償は何もされないばかりか
請求権さえも永久に放棄させられている。
被曝した人々は高齢化が進みますます望郷の念が強くなってくる。メジャットの島民はみな「ロンゲラップに帰りたい」という。
しかし、放射能で汚染された南の島々は島民の願いを未だ拒み続けている。
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飲料水は雨水が頼り。貴重な真水は身体を洗うために使えない。 |
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島に自生しているタコの木の実はゆでると甘さが増す。自然の甘さで子どもたちは大好きだ。 (メジャット島) |
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