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「命湧く海を守れ」
新基地建設に反対する辺野古の人々


突然、砂浜に姿を現した水陸両用戦闘車。
夕暮れとともに、沖合いに水しぶきを上げながら消えていった。



美しい砂浜が、鉄条網で仕切られ、
金網の中は治外法権だ。



ジュゴンを見に行った帰り道で出会った
演習に出かける海兵隊のトラック



普天間基地の県内移設として、
辺野古の海が予定地になってしまった



基地建設予定地の海

沖には水陸両用戦闘車が走り回っていた。
浅瀬のさんご礁はキャタピラーで粉々に砕けれてしまう。

ジュゴン保護の運動を続ける東恩納さん


全国から基地建設反対の支援者がやってくる。

「海は命を育ててくれた。私たちの命と同じ大切なものだ」とオバアーは言った。
 8月末新基地の建設が予定されている沖縄県名護市辺野古の海の東恩納琢磨(41)さんの舟に乗って見に行った。 東恩納さんは「辺野古の海を守れ」とジュゴンの里作りを提唱している。
 水深2,3メートルのリーフ(サンゴ礁の浅瀬)のサンゴは一時、白化現象で死んでしまった。 一説にはエルニーニョ現象による海水温の異常上昇ではないかと言われている。 しかし、最近ようやく、少しずつ再生してきている。そのサンゴの間を赤や黄色青などの色鮮やかな熱帯魚が泳ぎ回っている。 砂地の海底は薄緑色の藻がびっしり生えている。
ここは絶滅危惧種のジュゴンのエサ場にもなっているのだ。 夏の終わりとはいえ沖縄の海は燦々と降り注ぐ陽の光は海底にまで届き、ゆらゆらと海面の揺れが影になって海底を動かしているようだ。 澄みきった静かな海の中は心も体も自由にしてくれる。息の続く限りいつまでも潜っていたくなる。
 舟に上がると、東恩納さんの緊張した声が響いた。
「あれが、海底を荒らし回って、サンゴや藻場を滅茶苦茶にしてしまうのだ」と言いながら陸の方を指さした。 米海兵隊キャンプシュワーブのある浜辺では水陸両用戦闘兵員輸送車が水しぶきをあげながら上陸演習を繰り返していた。
 東恩納さんが生まれた名護市字瀬嵩は辺野古海岸から3q足らずのところだ。 その先には米軍のキャンプシュワーブがあった。 子どもの時 「なぜここにアメリカー(キャンプシュワープ)があるのか」と父親に聞いたら「しようがなかった」とぽつりと言った。 その父親の背中がいつもより小さく見えた記憶だけが残っている。
 戦後、沖縄の米軍基地は銃剣とブルトーザーで住民を追いだし次々と作られていった。 住民は命と暮らしを守るため命がけで米軍に抵抗した。 しかし、辺野古だけは自ら米軍を誘致した歴史を持っている。 「しようがなかった」といった「オヤジの思いを繰り返したくない」と軍事基地建設に反対する訳を話してくれた。
 東恩納さんは今年5月から「ジュゴンの里」をづくりを始めた。 「埋め立てられた海を目の前にして戦闘機の離発着の騒音の中で暮らすのでなく、 ジュゴンとともに暮らして行ける地域を築きたい」とその設立の主旨を話してくれた。
 この辺野古の海に巨大基地の建設計画が持ち上がったのは1997年だから、今から5年前になる。 当初、普天間基地の代替え基地として移転先に選ばれた。 しかし、ここは単なる普天間基地の代替えではなく新型大型ヘリMV22オスプレイの配備が決まっている。 MV22は、ヘリの二倍の速度、航続距離で五倍、積載量で三倍という侵攻能力をもっている。 この新型オスプレイが配備されれば、基地機能は飛躍的に強化される。 しかも、この新型オスプレイは開発途中でしばしば墜落事故を起こしている欠陥機でもある。 配備されれば、周辺住民は墜落の危険と騒音に悩まされることになる。
 去る、7月29日首相官邸で開かれた普天間基地移設代替施設協議会(政府、県、名護市など)は「米軍新基地基本計画」を発表した。 東京ドーム40個分、旧名護市街がすっぽり入る、2500メートルの滑走路のある巨大な新基地計画は、 リーフ珊(瑚礁の浅瀬)を埋め立て建設する、というものであった。
 地元・辺野古の人々はテレビニュースではじめて知らされ直ちに、地元選出の与党市議が中心になって、 白紙撤回意見書が書き上げられた。「リーフ上の埋め立ては絶対認められない」 「長島、平島周辺の珊瑚礁はなんとしても守りたい」との強い思いがにじみ出ていた。 「基本計画」は地元辺野古区行政委員会が検討してきたものとは「全く異なる内容」 国、県、市が繰り返し公言してきた「頭ごなしにはしない」とい約束すら踏みにじったものだった。
 条件付き基地賛成の人々でさえ、辺野古の沖にある長島、平島周辺のリーフは命の源と考えている特別な区域であり冒すべからざる、 神聖な場所なのである。
 辺野古漁港の目の前に建つ、新基地建設に反対している「命を守る会」事務所には 辺野古のオジイ、オバアたちが交替で事務所にやって来る。 深くシワが刻まれ色つやの良い元気なオバアの一人島袋ヨシ(90)さんは「戦後の食べ物がない時代に、 子どもたちにタコや貝や小魚をたくさん捕らせてもらった。子どもたちはこの海のお陰で大きく育った」 と戦後の苦しい時代を思い起こして話してくれた。そして「孫子の代までこの海を残してやりたい」と頬を伝う汗を拭いながらつぶやいた。
 8月1日名護市議会軍事基地対策特別委員会(軍特委)は全会一致で「意見書」の白紙撤回の臨時議会を開く事を決めた。 地元名護市の反発を知った政府は白紙撤回を求める臨時議会開催に猛烈な圧力をかけ、結局開くことができなかった。
 住民投票、賛成派市長のリコールで示された「新基地ノー」の住民の意思を踏みにじり、 計画をごり押ししてきた政府も地元、市、県を無視しては進めることができないでいる。
 静かに平和な暮らしがしたいという地元の人々の願いは豊かな辺野古の海から湧き出ているのだ。
 取材を終えて帰京直前台風16号が沖縄地方に接近してきた。辺野古の海はいつもの優しさとが一変し、 数メートルの高波が押し寄せ、防波堤に打ち砕ける波の音は基地建設に反対する人々の叫びにも聞こえた。

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