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クラスター爆弾の被害

日本時間 2003/6/17 21:42受信
4月4日夜11時過ぎ、タンクローリ−の運転手カシム(43)さんと弟のエサム(37)いとこのセラム(25)さんは 自宅前の路上で米軍の空爆を受けて燃え上がるバグダッドの町を見ていた。 突然、大きな爆発音とともに、あたりが血だらけになった。

クローリーも炎上してしまった。壁にはカシムさんや弟が犠牲ななった知らせの黒い布が貼られていた。
幹線道路脇に落ちたクラスター爆弾の親爆弾
幹線道路脇に落ちたクラスター爆弾の親爆弾。 この中に数百個の子爆弾が入っていって、空中で子爆弾が飛び出し拡散し被害を広範囲に広げる。

カシムさんの遺族
カシムさんは胸を直撃され即死。 弟のエサムさんとセラムさんは病院運ばれたがエサムさんは間もなく死亡。 セラムさんは1ヶ月の重症ですんだ。爆発したのはクラスター爆弾だった。 仕事を終えて停めて置いたタンクローリーの上にもクラスター爆弾が落ち炎上した。 周辺200メートルの地域に被害を及ぼし、近所の住民17人が死亡した。 カシムさんの家から1150メートルほど離れた幹線道路の脇に大きな親爆弾が落ちていた。
 周辺に軍事施設など何もなく、平和な町が血の海と化した。 カシムさんには4人の子どもがいる。奥さんのファテレマさん(48)は 「子どもが小さいのでお金もかかる。これからどうしていったらよいのか? 米軍には度々保障をしてくれと直接訴えたり手紙を送ったが、 イラクの新政府が出来るまで待ってくれと言う返事しか来なかった。 息子のムハンマッド(9)は米軍に仕返ししてやると言っている」と悔しそうに顔を歪めた。
 ドーラの町外れのハイウエー脇には4個のクラスター爆弾の親爆弾が落ちていた。 この地域に大量のクラスター爆弾が使われた。 戦争中病院で合った農民もこの町から運ばれてきたクラスター爆弾の被害者だった。

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