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ツアイサの核施設

一年後(2004/7)のレポートを参考に
2003年6月16日記
(『赤旗』『信濃毎日』『琉球新報』『いつでも元気』などに発表した記事を2004/8に修正

持ち出したドラム缶を洗ったディアラ川(2003/6/12)
 バグダッド南東25キロの核施設ツワイサは米軍侵攻とともに、ここを管理していたイラク軍が逃げてしまい、 近隣住民の略奪が始まってしまった。 核関連情報を最も熟知しているはずの米軍が管理者の居なくなった核施設の略奪を見て見ぬ振りをしたからだ。 核汚染の危険を知っているイラクの放射能防護センターの職員が米軍に何度も、略奪を防ぐように頼んだにもかかわらず、 米軍は彼らの忠告を無視し、何も動かなかった。 その結果、イエローケーキをはじめ核物質が住民によって核施設の外に持ち出され、周辺の環境を汚染してしまった。
 今日、ツワイサの隣の核施設 Storyg of Atoms Nucler という核施設の隣接した住宅地で35マイクロシーベールトという、 考えられない高い汚染地を見つけてしまった。(これはイエローケーキではない他の核物質の汚染が考えられる。もっと危険) 住民が不安そうにここを計れと言うのでサーベメータ(RPD101)を近づけるといきなり警告音が鳴りっぱなしになってしまった。 19,999マイクロシーベルトを示し、振り切れてしまった。 バグダッドの放射線防護センターのカディームさんが持っていた放射線測定器は35マイクロシーベルトを示している。 ここは住宅地のど真ん中である。子どもたちは裸足で歩き回っており、羊が草を食べている。 心配そうに集まってきた男たちの中にイエローケーキのはいったドラム缶を持ち出した人が3人いた。 彼らの爪の間が黄色くなっている。 イエローケーキを触った男の中に皮膚に発疹が起きている人がいたが、被曝が原因かどうか判らなかった。
 住民はとても心配していたが、具体的にどうすればよいのか。 住民を安全な場所に緊急に避難させる、汚染源を特定し除去しなければならない。 全てが緊急を要する。しかし、今のイラクでは何もできない。住民は激しい被曝を続けている。 今日の取材はこれまでの核被害地の取材で最も恐ろしい光景だった。 カザフスタンのセミパラチンスク核実験場でさえ高汚染地は実験場のど真ん中。 住民の生活エリアから数十キロ以上離れている。しかし、ここは、住民の生活区域なのだ。 住宅地のど真ん中で高汚染が進行しているのだ。見えないだけに、余計恐ろしい。住民に被曝症状が現れるには時間の問題だ。
 国際社会は緊急に手を打たなければならない。

汚染されたディアラ川で危険を知らずに泳いでいた子どもたち(2003/6/12)
核施設を隔てていた土手は子どもたちの遊び場になっている。(2003/6/12)

住宅地の空き地に棄てられていた天然ウランの攪拌機と思われる金属機械。内部は黄色い粉がついていた。(デュセルディアラ村 2003/6/12)
急性放射線障害になった少女。兄が庭に運んできたドラム缶に入って いた放射能汚染された水で衣類を洗濯してしまった。下痢や吐き気、頭痛、皮膚 に赤く内出血のような斑点ができた。急性放射線障害だ。 (2003年6月ディセルディアラ村)

国際環境団体グリーンピースが汚染のひどい住宅地の道路に放射能 のマークをつけて立入禁止のロープを張り巡らしたが、翌日住民が取り外してしまった。 (2003年6月ディセルディアラ村)
核施設内で防護服を着た男たちが作業をしていた。(2003年6月アル・ワルディエ村)

汚染のひどい住宅地の道路。持参したサーベメーターでは針が振り切れてしまった。(2003年6月ディッセルディアラ村)

核施設集への住民4,000人が被爆したと思われる(2003年6月ディッセルディアラ村)

「オレを測ってくれ」と言ってくる男が来た。 彼は核施設内部からドラム缶を運び出してきたという。(2003年6月ディッセルディアラ村)
ツワイサ核汚染の患者を最初に診て急性放射線障害と診断したマイダン市にある病院の医師(2003年6月マイダン病院)

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