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10年以上続く経済制裁によって、町には学校に行けなくなった子どもたちが物乞いやたばこ売りなどで溢れている。主食の小麦粉は戦争前の1万倍にも跳ね上がり庶民の食糧事情は日ごと悪化している。一見、町には食品が出回っているが買い物をする客はわずかだ。国連食糧計画は「今のイラクは飢餓のアフリカよりひどい」と言っているほどだ。栄養失調で死亡する幼児は’89年と比べ19倍。新生児の70lが栄養失調でそのうちの50%が重症になるという。さらに、水道水から大腸菌が発見されるなど浄水場で欠かせない塩素剤は経済制裁のため、化学兵器の材料になると言う理由から輸入できない。清潔な水が飲めない子どもたちの間に赤痢やコレラ、チフスが発生している。
「経済制裁と爆撃がサダムの体制をより強固なものにしている。ますます国民がアメリカを憎みはすれ、独裁政治に目が向かない」とあるバグダッドの外交筋はいう。
病院には薬もなく医療機器も粗大ゴミ同然で動いている物はほとんどない。医師たちは溢れ来る重症患者に全く手の施しようもなく呆然としている。日本では簡単になおる病気でもここでは直接死と結びついてしまう。
急増する子どもたちの白血病に対応するため1993年にはバクダッドの2つの小児病院に白血病専門病棟ができた。
その一つのマンスール病院を訪ねた。’98年5月に訪問した時に撮った入院患者の写真を持っていくと「この子も、この子も亡くなった」と医師たちは平然と言う。死が日常化している。この病院では「毎日4〜6人の子どもが亡くなって行きます。湾岸戦争前の10倍です。白血病患者は10倍になっています。白血病になれば殆どの子どもが死んでしまう。
こうした異変の原因が「湾岸戦争当時代使われた劣化ウラン弾によるものだ」と医師の誰もが言う。
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ファアアの大きく膨れた、お腹に針を刺すと苦痛に耐えかねた少女の悲鳴が廊下に響きわたった。
(バクダッド・マンスール病院小児科白血病専門病棟) |
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兄から弟に、その友人に受け継がれた教科書はボロボロになり、ビニールのカバーが着けられていた。経済制裁の影響は学校教育に大きなダメージを与えている。
(バスラの小学校)
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