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マーシャル諸島(ビキニ水爆実験) 目次
  1. ビキニ水爆実験 被曝者はいま
  2. 被曝2世のジョカネ・マタヨシさん
  3. 誕生日プレゼントは水爆実験だった
  4. プロジェクト4,1 ― 人体実験の疑惑
  5. 温暖化

2,被曝2世のジョカネ・マタヨシさん


二週間前には外出が出来たジョカネさん。兄たちと母の墓の前で撮影させて貰った。
 ジョカネ・マタヨシ(1964年イバイ島生まれ)さんと会ったのは首都マジュロの国立マジュロ病院の病室だった。右足大腿部が異常に腫れ上がり痛みがひどいので動かせないとベッドに横たわっていた。入院して1月になるが原因不明だと担当医師はいう。
 ジョカネさんと初めてあったのは1997年7月クワジェレン環礁イバイ島だった。
 ロンゲラップ住民が避難生活をしている同環礁北部のメジャト島で取材を終えて帰る途中だった。
 メジャト島に行くためには、マジュロから飛行機でクワジェレン環礁の南端にあるクワジェレン米軍基地内にある空港に飛び、そこから2キロ離れたイバイ島までボートで行き、さらにイバイ島からクワジェレン環礁を約130キロ航海しなければならなかった。
 イバイ島は0,5平方キロメートルに満たない小さな島で、となりのクワジェレン島にある米軍基地労働者とその家族12,000人が押し込められるように住んでいた。

足がパンパンに腫れ、痛みを我慢しているジョカネさん。医師が原因不明だと言う。ジョカネさんのここを一層不安にさせる。
 ロンゲラップ島住民も現金収入を求めて基地労働者としてたくさん住んでいた。
 ジョカネさんとはロンゲラップ出身者のコミュニティーに行ったときに会ったのだ。彼の小型トラックで島を案内して貰った。何を質問しても「maybe(とたぶん)」を連発するちょっと英語が苦手な若者だった。
 ジョカネさんは父ビリエットと母アリミラさんの三男として生まれた。兄のアレットは1952年ロンゲラップ生まれロンゲラップ島で被曝した。次兄のロベルトさんはブラボー実験の時母親のお腹の中にいて、避難先のクワジェレンで生まれた。
 その後、母アルミラさんは3度流産した。1964年にジョカネさんが生まれた。母のアリミラさんは1972年に甲状腺ガンで手術をし、2005年に肝臓ガンで亡くなった。
 兄アレットさんは成長不良で身長が145pしか伸びなかった。原因は放射性ヨウ素の被曝による甲状腺ホルモンの異常であることが判った。いつも寒がって毛布をかぶっていたという。
 ジョカネさんも子どもの時に甲状腺に小さな腫れ物があることが判った。甲状腺異常はロンゲラップ島出身の子ども達の半分以上に見られた。
 ジョカネさんはロンゲラップ島でココナッツやヤシガニをたくさん食べた。まだ子どもだったので汚染されていると言われても理解できなかった。
 帰国の前日、病院を訪ねると、薄暗い部屋でジョカネさんはベッドに横たわり痛みに耐えていた。「夕べからひどい痛みで殆ど寝られない」と顔をゆがめた。上半身だけ起き上がろうとするが痛みで起き上がれない。心配そうに奥さんが風船のように腫れ上がった右股をさすっていた。壁際に彼の息子が黙って腰掛けていた。「息子達にも悪い影響が出なければよいのだが」と子ども達の遺伝的影響を心配していた。

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