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アルバニアゲリラの村潜入記

Village of the Albania guerilla MASEDONIA

マケドニア北部・コソボ国境地帯

2001年6月


アルバニアゲリラ支配地域の村を狙うマケドニア軍戦車
アルバニアゲリラ支配地域の村を狙うマケドニア軍戦車
 ユーゴスラビア・コゾボ自治州の民族紛争にNATO軍が介入して3年がすぎた。 コソボではNATO軍の駐留により安定が保たれている。 しかし、隣のマケドニアではアルバニア系ゲリラと政府軍の戦闘が勃発し、コソボの戦火が隣に飛び火した格好だ。 早々とNATOが介入して、当事者間の和平協議が行われ、アルバニア系ゲリラの武装解除が合意された。 しかし、当地ではだれもこれによって平和が訪れるとは思っていない。 マケドニアの民族対立はバルカン全域に飛び火する危険性をはらみつつ、 NATO軍の介入自体にヨーロッパ諸国からも疑問の声が上がっている。
   私は6月初旬、マケドニアの首都スコピエ近郊の村からアルバニア系ゲリラ(NLA)の支配する村に潜入することが出来た。 すでに戦闘は5月から本格化しマケドニア軍は百数十両の戦車、戦闘ヘリ、ミグ戦闘機などを動員して、 連日激しい砲撃をゲリラ支配地域の村に加えていた。 マケドニア北部のコソボ自治州との国境地帯は1500メートルから2000メートル級の山岳地帯で、 その緩やかな傾斜地にアルバニア系住民の村が点在し、NLAはここを拠点に軍事活動を展開している。 これらの村は、マケドニア警察や軍によって封鎖され、近づくことが出来ない。単独でゲリラ支配地域にはいることは不可能だ。 私はスコピエに隣接するアラチノボ村のカフェでゲリラと幾度か接触した。 アラチノボは首都スコピエを見下ろすような位置にあり、アルバニアゲリラの支配地域から逃れてくる難民の避難ルートにあたっていた。 何度か、ゲリラとの接触に失敗し、戦火を逃れてくる難民の家族を取材中、 アルバニア避難民に混じって偶然18才のゲリラと接触することが出来た。

ゲリラの村へ

アラチノボ村のカフェ
ゲリラと接触し村への案内を乞う。(アラチノボ村のカフェで)
アルバニアゲリラの司令部はブナの森の中
ゲリラの案内で山の中を6時間歩きようやくたどり着いたアルバニアゲリラの司令部はブナの森の中にあった(マテイチェ村)
アルバニアゲリラ
アルバニアゲリラ(UCK:ウーチャーカーと読む)はその多くがコソボからやって来た。
「名前、年齢、出身地などを聞かない」というのが取材条件でゲリラの支配地域に入ることが出来た。 ガイドの名前は聞けなかったが、まだ少年のはにかみをのこした、親しみの持てる青年だった。 私とゲリラの青年は山岳地帯をマケドニア軍の狙撃を避けるため身をかがめながら山の中を6時間歩き周り、 夕闇が迫る頃ようやく、マテイェチェ村のブナ林に囲まれた司令部に着いた。 途中沢の水を飲んだだけ、空腹と疲労で倒れ込んでしまった。そこは周囲が塹壕で囲われ、 ゲリラが機関銃を外に向けて警戒していた。司令部に使われている建物は14世紀に建てられたセルビア正教の修道院で歴史的建造物だ。 アルバニアゲリラはこの建物が、宗教上マケドニア軍が攻撃しにくいことを逆手に取って司令部として利用しているようだ。 しかし安全と思われていたこの建物も結局は攻撃の標的にされてしまうのだが。 実際、同じ敷地内にコソボ紛争前まで使われていたセルビア正教の信者用のホテルは マケドニア軍ヘリからのロケット砲で屋根が吹き飛んでいた。 これらの建物も撮影が許されない。兵士の姿も撮影できない。と、規制だらけの取材だ。 もし、写真が政府軍の手に渡ったら、彼らの家族が危険な目に遭うという理由からだ。 彼らはスコピエや近くの町からやって来たゲリラなのだ。 しかし、戦闘に慣れたゲリラはみなコソボから来たといっていた。 「厳しい取材制限」といっておきながら仲良くなると人懐っこい兵士ばかりだ。 写真好き。はじめ拒んでいても、一人が写真を撮ってくれと言い始めると、次々と携えた武器を持って集まってくる。
 彼らが使っている兵器はAK47などの自動小銃や最大のもので迫撃砲ぐらい。 一方のマケドニア軍は戦車や航空機を使った全面戦争。正面からぶつかれば勝敗は戦う前から判っているが、 ゲリラ戦では正面から攻撃できない弱みがマケドニア軍にはある。
夜10時過ぎ、食事だといわれ案内されたのは地下室の宿舎兼食堂だ。 電気のないロウソクの火だけが頼りの薄暗い大きな部屋はすでに数人の兵士が食べていた。 一切れのパンとレバーペーストの缶詰が夕食だ。缶詰にはボスニア製と書かれていた。 質素な食事にだれも不満を言うものはいない。司令官も一般兵士も同じものを食っていた。

前線の村へ

数十人のアルバニア避難民
モスクの地下室には数十人のアルバニア避難民が押し込められていた。3日前に産まれた赤ちゃんもいた。食糧、医薬品が不足し、衛生状態もきわめて悪い。(マテイチェ村)
民家の壁に銃撃の後
民家の壁に銃撃の後が生々しく残っていた。(マテイチェ村)
子どもたちは遊びも「戦争ごっこ」
日常が戦争の子どもたちは遊びも「戦争ごっこ」になる。
破壊された半地下の避難所
マケドニア軍戦車砲の直撃で破壊された半地下の避難所。ここで8人の女性や子どもが亡くなった。(スラプチャン村)
ゲリラに参加した息子と母親
ゲリラに参加した息子と母親(リプコボ村)
アルバニアゲリラ
アルバニアゲリラ(UCK:ウーチャーカーと読む)はその多くがコソボからやって来た。
牛や馬が殺され腐敗臭を放っていた
村にはいると牛や馬が殺され腐敗臭を放っていた。(リプコボ村)
破壊されたマケドニア戦車
アルバニアゲリラのバズーカ砲で破壊されたマケドニア戦車。中にはマケドニア兵士の死体が残され、一面死臭が漂っていた。(マテイチェ村)
 翌早朝まだ薄暗いのにベッドからたたき起こされた。昨日の強行軍で腰や股の筋肉が腫れ上がっている。 西の空に残っている月あかりに腕時計の蛍光塗料が光っていた。 ちょうど四時だった。眠い目をこすりながら宿舎から出ると2頭の馬が用意されていた。 これから前線の村にはいるという。これに乗っていくのかと思ったが、とんだ勘違いをしていたことに直ぐ気付いた。 二人のゲリラが農民のような服装で銃を担ぎ、馬の背に大きな荷をくくりつけ始めた。荷物の中身は銃弾と食糧だった。 前線に届けるらしい。それから3時間。山の中を早足で歩き、オテリャ村に着いた。 村の学校やイスラムの寺院、大きな民家が爆撃で破壊されていた。馬が死んで死臭を放っていた。 避難せず残ったアルバニア系住民は、マケドニア軍の砲撃を避けてモスクの地下室に避難していた。 そのほとんどが女性や老人、子どもだった。3日前に産まれた赤ちゃんもいた。 ロウソクの光に照らし出された避難民の顔はみなやつれていた。食糧、医薬品が不足していると言っていた。 マケドニア赤十字社の避難勧告を拒否し、薄暗い地下室に避難民がうずくまっていた。 ジャーナリストが来たのでこの地下室に集められたような気もした。 いたいけない5才の子どもがヘリから撃たれたロケット砲の破片で腕を怪我して泣いていた。 私の目にはアルバニア系ゲリラの人質のように見えた。彼らがここにいることを知っているマケドニア軍は正面から攻撃できないのだから。 この紛争が始まって3万人が難民となった。家を焼かれ、傷つき、倒れ犠牲になるのはいつも民衆だ。 アルバニア系住民とマケドニア系住民との溝は埋められるのか。

マケドニア紛争

マケドニア軍の装甲車
アラチノボ村(アルバニアゲリラの支配する村)からマケドニア軍の装甲車が帰ってきた。
マケドニアの兵士たち
戦闘を終え自宅近くのカフェで酒を飲んでいたマケドニアの兵士たち。
 92年に旧ユーゴから独立したマケドニアは多数派を形成するマケドニア系住民を「国家を形成する主要民族」と憲法で規定し、 職業や教育、言語などの面でマケドニア人を優遇してきた。 国民の3分の1を占めるアルバニア系住民はこの民族的差別に強い不満を鬱積させてきた。 今年二月、アルバニア系ゲリラがテロ活動を活発化させ、これに触発された形でアルバニア系住民の不満が表面化した。 バルカン全域に民族紛争が広がることを恐れたNATOからの圧力もあり、6月以降和平協議が行われた結果、 マケドニア政府はアルバニア系ゲリラの主張を受け入れ、アルバニア系住民の地位向上を定めた和平協定の実現に動き出したように見える。 しかし、事態はもっと複雑な要素をはらみながら展開している。仲介に入ったNATO軍は一方の手で平和の握手をさせながら、 NATO最大のアメリカがアルバニア系ゲリラに様々な援助を行っている事実が明るみに出てきている。 例えば6月、数人のアメリカの軍事顧問がスコピエ近郊の村アラチノボでアルバニアゲリラとともに行動している。 とか、CIAが掴んだアルバニア系ゲリラの情報を同盟国に報告していない事(独「シュピーゲル」誌8月13日号)や、 スコピエ在住のオランダ人ジャーナリスト、ピーター・J・ボセはコソボ自治州内の米軍管理地域のチェックポイントで、 コソボ駐留米軍がアルバニア系ゲリラのトラックに武器が積まれているのを知っていながら通過させていた現場を目撃した。
 NATO加盟国からも「アルバニア系ゲリラをアメリカが支えている」と今回派兵しないアメリカへの不満が吹き出ている。 一方の手で消火活動をしながらがら、もう一方の手にはガソリンとマッチを持っているようなものだ。 アメリカの火遊びがいつヨーロッパに広がるか判らない。 かつて第一次世界大戦、第二次世界大戦はこのバルカンから火の手があがったことを忘れてはならない。 この地域に平和が訪れるのはいつになるのか、まだ先は見えない。

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